大福寺 境内のご案内

大福寺は東山公園の北隅、岡山市中区御成町の住宅街に立地します。山門を入ると大地蔵が皆さまをお出迎えいたします。

大福寺境内案内図

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大福寺 境内のご案内

山門「薬医門」(さんもん「やくいもん」)

表門は享保17年(1732)に建立されたと伝えられます。切妻造、本瓦葺の一間薬医門です。
本柱間を7.5尺にとる比較的小型の薬医門となります。「聖満山」の額は明和3年(1766)のものです。

山門「薬医門」01

山門「薬医門」02

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鎮守堂「瘡守宮」(ちんじゅどう「かさもりぐう」)

瘡守宮は古来より腫物・瘡に効き目があり、平癒祈願すれば願いが叶うとして近隣の信仰を集めていました。

  • 鎮守堂「瘡守宮」01
  • 鎮守堂「瘡守宮」02

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大地蔵(おおじぞう)

御丈2丈2尺6寸(約6メートル90センチ)の石地蔵です。寛政9年(1797)5月に建立されました。戦火により背中の部分に焼けた痕跡が残っています。

  • 大地蔵(だいじぞう)01
  • 大地蔵(だいじぞう)02

    書院北庭より大地蔵を望む

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三面大黒天(さんめんだいこくてん)

三面大黒天は正面に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁財天の3つの顔をもつ合体神です。
正面の大黒天様は、人々の食生活を守り、財産をもたらしてくれる神様です。右面は毘沙門天で、戦いの神様です。左面は弁財天で美と才能と学問を司る神様です。つまり、この世での現実的な成功をもたらしてくれる必要不可欠なものを備えているのが、この三面大黒天です。
大福寺の三面大黒天は江戸時代に作られました。

  • 三面大黒天(さんめんだいこくてん)01

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客殿(きゃくでん)

客殿は寛政11年(1799)に建立されたと伝えられます。入母屋造、本瓦葺で前後2列に各3室ずつ並ぶ、いわゆる方丈形式の平面をとる簡素な建物です。
持仏堂には阿弥陀三尊、不動明王、毘沙門天、地蔵菩薩、歴代住職の位牌等をおまつりしています。

大福寺 客殿客殿

大福寺 本堂並びに客殿本堂並びに客殿

大福寺 客殿持仏客殿持仏

大福寺 客殿北庭客殿北庭

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本堂(ほんどう)

大福寺の本堂は入母屋造、本瓦葺で前に向拝が付いた建物です。欄間には阿吽形の龍が彫刻されています。
本尊は阿弥陀三尊で、脇侍として不動明王、愛染明王、さらにその周りには毘沙門天などが安置されています。
平成15年4月に本堂と大師堂(宝形造)を再建しました。

大福寺 本堂内陣本堂内陣

大福寺 本堂並びに大師堂本堂並びに大師堂

大福寺 本堂龍欄間(吽形)本堂龍欄間(吽形)

大福寺 本堂龍欄間(阿形)本堂龍欄間(阿形)

仏像

  • 不動明王不動明王
  • 弘法大師弘法大師
  • 毘沙門天三尊毘沙門天三尊
  • 虚空蔵菩薩虚空蔵菩薩玉井宮の本地仏になります。黄金色の像で白衣虚空蔵
    と伝わります。
  • 如意輪観音菩薩如意輪観音菩薩玉井宮の本地仏になります。彩色の六臂(手が6本)
    像です。

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書院(しょいん)

書院は平成24年7月に檀信徒の法要、会所等に使用するため建立しました。弁財天をおまつりしています。

大福寺 書院書院

大福寺 書院内部書院内部

大福寺 書院より本堂を望む書院より本堂を望む

大福寺 書院玄関にある寺紋書院玄関にある寺紋

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納骨堂(のうこつどう)

昨今、高齢化、少子化のためか檀信徒の方々よりお骨を預かってくれる施設を整えて欲しいと、多数の要望があります。
大福寺では現在、要望に応え納骨堂を平成20年7月28日に岡山市指令生衛第489-1号として許可をいただき、平成20年11月6日より経営しています。
お骨は納骨堂、位牌は客殿持仏にて永代供養として預かっています。跡継ぎがなく、まつり手のない檀信徒の方が対象です。檀信徒のことを考えると、お骨も位牌も檀那寺にあった方が安心だと考えているからです。

  • 大福寺 納骨堂01
  • 大福寺 納骨堂02

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